大阪家庭裁判所 昭和48年(家)1761号 審判 1974年3月02日
申立人 志村寿子(仮名)
相手方 柳田鉄造(仮名)
事件本人 柳田芳枝(仮名) 昭四六・一・六生
外一名
主文
昭和四八年(家)第一五六六号事件につき、事件本人芳枝の親権者を父である相手方から母である申立人に変更する。
同年(家)第一七六一号事件につき、相手方の申立を却下する。
理由
1 申立人は事件本人芳枝の、相手方は事件本人健一の、各親権者をそれぞれ自己に変更する旨の審判を求めるものであるところ、調査の結果によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 申立人と相手方は、昭和四一年六月六日婚姻の届出をなしたものであるところ、相手方はそれ以前から多額の貸金債務があり、結婚後も競馬にこるなどさらにそれが増大してその支払に窮したため、昭和四三年三月頃申立人は実家の母はる方へ戻つて相手方と別居したが、昭和四四年八月二五日事件本人健一が出生した後、ふたたび上記はる方で相手方と同居するようになり、昭和四六年一月六日事件本人芳枝が出生した。
(2) その後申立人は、上記の債務を返済するため、スナック、クラブのホステスなどをして働いていたが、相手方が申立人に対し帰宅が遅いといつて殴打するなど暴行を加えたことから、上記の如きこれまでの結婚生活や事件本人ら子供の将来などを考え合せ相手方との離婚を決意するに至つた。
(3) 相手方は婚姻の継続を望み、双方間に離婚の話がまとまらないまま、昭和四六年九月頃相手方は単身上記申立人母はる方から出て別居し、申立人は昭和四六年一二月一八日当裁判所に離婚の調停を申し立てた(昭和四六年<家イ>第四〇五六号事件)。
(4) 上記調停は、昭和四七年一月一八日の第一回期日から昭和四八年四月三日まで二〇回にわたつてなされたが、申立人が一貫して離婚と事件本人両名の親権者を申立人とすることを主張したのに対し、相手方も回を重ねるにつれ、ようやく離婚には応じるようになつたが、事件本人両名少くとも同芳枝の親権者を相手方とし、上記債務の残額の二分の一約一〇〇万円を申立人において弁済することを要求したため、話し合いがつかないまま推移していたものであるところ、下記の如く昭和四八年三月一六日双方間の協議離婚届がなされたことが判明したので、上記最終期日において家事審判規則一三八条により調停をしないこととされて終了した(上記調停中の昭和四七年六月一三日相手方より申立人に対する離婚の調停が申したてられ-昭和四七年<家イ>第二一一〇号事件-だが、同事件は同年一一月二七日取り下げられた)。
(5) 上記の調停中である昭和四八年三月上旬頃、裁判所外で当事者双方間において、事件本人両名の親権者をいずれも申立人と定めて離婚する旨の協議離婚届が作成されたが、その後申立人の印章も所持していた相手方においてこれを用い、同届中、夫が親権を行なう子欄の「なし」の字句を抹消し、その左側余白に「芳枝」と記載し、妻が親権を行なう子欄の「芳枝」の記載を抹消して、上記の日に届出をなしたので、事件本人芳枝の戸籍の身分事項欄には、親権者を相手方と定める旨の記載がなされた。
(6) 申立人は間もなくこれを知り、昭和四八年四月三日当裁判所に対し、事件本人芳枝についての親権者変更の調停を申し立て(昭和四八年<家イ>第九九九号事件)、これに対し相手方も同事件本人について子の引渡の調停を申し立て(昭和四八年<家イ>第一五六三号事件)たが、両事件とも昭和四八年六月一二日調停の成立する見込がないとされて終了し、上記第九九九号事件は本件第一五六六号事件に移行した。またその翌日相手方より事件本人健一についての親権者変更の調停の申立がなされ(昭和四八年<家イ>第一八四九号事件)たが、同様同年七月五日調停の成立する見込がないとされて終了し、本件第一七六一号事件に移行した。
(7) 申立人は、上記の昭和四六年九月頃の相手方との別居後間もなく、事件本人両名と共に上記の実母はる方を出て、大阪府下某市内のアパートに転居し、以来ずつと同所において未亡人である実姉池内里子と四人で生活しており、ホステスをしているので昼間はずつと事件本人両名と一緒であり、勤務は夜の六時から一二時過ぎまでであるが、その間は上記姉里子が代つて事件本人両名の世話をしており、月収は約二〇万円なので上記四名が生活するについて経済的に不安はなく、アパートは新しく風呂、台所の外に六畳二室と四・五畳一室があり、近隣も含めて生活環境は良好であつて、事件本人両名とも申立人および上記里子によくなついている。
(8) 相手方は、昭和四八年一〇月五日従来勤務していた○○建設株式会社を退職し、現在は分譲地の境界に杭を打ち有刺鉄線を張るなどしてこれを管理する事業を自ら営んでおり、最初の一ヵ月間で約六〇万円の収益をあげたと称しているが、果してそれが永続性のある職業といえるかは疑問である。
(9) 相手方は、実父柳田正次とその後妻登喜子(相手方は同女が自己の実母であり、戸籍上の亡母としとは実母子関係がないという)らと同一団地内に居住しているので、事件本人両名を引き取つた場合は上記登喜子に監護養育を委託する旨主張するが同女が事件本人らを引き取つて養育したことは、昭和四六年九月の別居の頃より以前に数度あるのみで、それもごく短期間にすぎず、しかも同女の生活状況、家族状況には上記の如くなお不明な点があり、相手方自身その点に関する調査に積極的には応じようとしないこと、相手方と事件本人両名との間には、従来父子間の愛情の交流がほとんどなかつたことなどからすると相手方の、事件本人両名につき親権者となりこれを引き取つて養育したい旨の主張が、果して真意に出たものであるかについては疑いなきを得ない。
(10) そして、相手方が本件審問に際し、上記貸金債務のうち申立人名義で借り受けた分(申立人によれば四〇ないし五〇万円)は申立人において全額これを弁済し、事件本人両名の養育に関し申立人において今後名目を問わず金銭その他一切の請求をしないことを条件に、事件本人芳枝の親権者変更に同意する旨述べたこと、および上記の如き調停の経緯に照すと、相手方の主眼とするところは、むしろ上記の貸金債務の弁済を申立人に一部分担させることにあり、事件本人両名の親権者変更の件はそのかけひきの手段として取り上げられているもののように思われる。
(11) また、上記の調停の経緯や、相手方が上記離婚後である本件審理中にも、しばしば申立人の勤務先や上記実家に申立人を尋ねてきていることからすると、相手方はなお申立人に対する未練があつて、申立人との接触を続けるために事件本人両名の親権者変更の件を利用している面もあるように推察される。
2 上記(5)の事実によれば、事件本人芳枝の親権者指定の協議については、申立人には相手方を親権者とする意思はなかつたのであるから、相手方において当初から離婚届を改ざんする意思であつたものであれ、後にその意思を生じたものであれ、いずれにしても相手方を親権者と指定する協議は無効であるものというべく、従つて申立人としては、理論的には、相手方に対する親権者指定協議無効確認の確定判決(家事審判法二三条の審判を含む)を得て、戸籍法一一六条により事件本人芳枝の戸籍中身分事項欄の相手方を親権者と定める旨の記載を消除したうえ、改めて親権者指定の協議またはこれに代る審判により、同事件本人の親権者を定めるのが筋というべきであるが、他方で親権者としては相手方よりも申立人の方が子の利益の観点からみて適当であると認めるべき事情があるときは、上記の親権者指定協議の効力を争うことなく親権者を自己に変更する審判を求めることも許されるものというべきである。
3 そして、上記認定の諸事情からすれば、申立人による事件本人両名の監護状況(事件本人芳枝については事実上の監護)には、とりたてて問題とすべき点は何らなく、事件本人両名の利益の観点からみて、現在これを直ちに変更すべき必要、理由は全く考えられないところであり、特段の事情がない限り監護者と親権者は同一人であることが望ましいことは論をまたないものであるところ、本件においてはそのような特段の事情は何ら認められないのであるから、事件本人芳枝についてはその親権者を相手方から事実上の監護者である申立人に変更し、事件本人健一についてはその親権者を変更せず、監護者である申立人を親権者のままにしておくのが、妥当であるといわねばならない。
4 よつて、第一五六六号事件については申立人の申立を認容し、第一七六一号事件については相手方の申立を却下することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 山崎杲)